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フリーダ・カーロ展(フィラデルフィア美術館) / Frida Kahlo  [美術館]

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フィラデルフィア美術館でフリーダ・カーロ展(2008年2月20日~5月18日)が行われているので行ってきました。



その前に・・・
昨年東京で行われていた「フィラデルフィア美術館展」にて展示されていた絵画たちも戻ってきていました。
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フリーダ・カーロ(1907~1954)は、メキシコで最も有名な画家と言われているそうです。その生涯は映画化されています。
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作品を見るにあたっては、彼女の激動の人生の物語を知ることが必要不可欠な要素と言えましょう。会場もまずはフリーダと彼女をめぐる人々の写真と、作品の二部構成になっていました。

フリーダ・カーロは6歳でポリオを患い、18歳の時に交通事故に遭い、瀕死の重傷を負いました。全身を酷く傷つけ、生涯その後遺症に苦しめられたそうです。その痛みと苦しみはしばしば絵によって表現されています。
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入院中に絵を描くようになったフリーダは、創作に並々ならぬ執念を持ち、不自由な上半身をつるし上げ、あごを固定した状態で絵を描いていたそうです。
退院すると、メキシコ芸術界に入り、折りしも世界に吹き荒れた社会主義革命にも傾倒、メキシコ共産党に入党しました。(後に離党)そのときにメキシコの有名な壁画家ディエゴ・リベラ(1886~1957)に出会い、1928年に二人は結婚しました。
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結婚後もディエゴ・リベラは多くの女性と浮名を流し、フリーダの妹とも関係しフリーダを苦しめましたが、フリーダ自身も、ロシアの革命家トロツキーや日系アメリカ人彫刻家イサム・ノグチ(野口勇)などと関係があったそうです。
やがて二人は離婚、その後また復縁します。最初の結婚のとき、事故の後遺症でフリーダは2度流産しています。その苦しみも彼女の作品に大きな影響を与えました。
フリーダはパリやニューヨークで個展を開き、やがて作品が認められるようになっていきましたが、事故の後遺症は長年全身を蝕み、1954年47歳で短くも激しい人生を終えました。

フリーダの作品からは、さまざまなものが伝わってきます。
愛情、憎悪、苦悩、痛み、喜び、悲しみ、慈愛、母性への憧憬・・・民族的、政治的、宗教的色合いも濃く、あからさまな感情表現に、見るものを戸惑わせるほどの激情が伝わってきます。
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自身の肖像画も多く、どれも民族衣装を纏っています。ディエゴがメキシコの民族衣装を着るようにと言ったのもあるそうですが、母方から受け継ぐインディオの血がそうさせたのでしょう。
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民族衣装を纏ったフリーダの表情は凛として理知的、心は凪ぎいているように見えます。様々な感情を表現したシュールレアリズム的な絵画に込められた剥き出しの感情とのバランスを取ったのでしょうか。自身と向き合う肖像画を描くことにより、心を浄化させたかのように穏やかな気配が伝わってきます。

会場を後にしたときは、まるで長編ドラマを観終わった後のような、疲労感を覚えました。フリーダの作品と濃厚な人生を余すことなく伝えきった秀逸な特別展でした。
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